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名古屋地方裁判所 昭和38年(ワ)1171号 判決

原告 田辺梅雄

右訴訟代理人弁護士 花田啓一

同 安藤巌

被告 株式会社宮堂商店

右代表者代表取締役 宮堂政美

右訴訟代理人弁護士 岩田源七

主文

被告は原告に対し九八、七三三円およびそのうち七一、〇〇〇円に対する昭和三八年六月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告、その余を被告の各負担とする。

この判決は原告において三〇、〇〇〇円の担保を供するときは一項に限り仮に執行できる。

事実

原告は、「一、被告は、(一)原告に対し五三二、五〇〇円およびこれに対する昭和三八年六月二三日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。(二)被告所有の別紙目録記載の建物のうち工場北側の外壁および屋根を厚さ二寸以上のセメント壁をもつて被覆し、同建物明り取り部分に厚さ二分以上のガラス板を設置せよ。(三)原告に対し昭和三八年六月一日以降右(二)記載の塀設置に至るまで毎月末日限り一五、〇〇〇円宛の支払をせよ。二、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および一項(一)および(二)について仮執行の宣言を求め、請求の原因として、

一、被告は昭和二五年一二月一六日麻糸ロープ・結束紐製造および販売ならびに右に関連する事業を行うことを目的として設立せられたものにして、名古屋市中村区道下町三丁目一二番地上に別紙目録記載の工場を有し、昭和三五年六月中旬より右工場において本格的に麻糸ロープ結束作業を開始し、現在に至つている。

二、原告は、被告の右工場の北側にこれと巾約三・八米の道路を距てて木造平屋建の住居を有し、妻重子(三二才)と子供の喜栄(八才)および治通(六才)と共に居住している。

三、ところで、被告の右工場は元来一般住居として建築された建物を簡単に改造したに過ぎないもので、屋根はスレート瓦葺、外廊は一部がモルタル張りである外波トタン又は板で囲われているだけの壁の部分の少い建物である結果、同工場内に設置されている約一二台の麻ロープ製造用機械の稼動により発する震動および高度の騒音が毎日午前八時頃から午後七時頃まで昼の休憩時間を除いて間断なく前記位置にある原告方に飛来し、このため愛知県中村警察署に巡査として勤務し、一日置きに一昼夜勤務についているので一日置きに非番で自宅にいることになる原告は充分休養をとることも出来ず翌日の勤務にも大いに支障を来しており、昭和三五年六月頃から胸部疾患を得、病院通いをしている原告の妻も特に右騒音に悩まされており、原告の子供達も右騒音のために健康な環境を阻害されている有様で、その騒音は質量ともに原告の社会生活上の受忍義務を遙かに超え、原告およびその家族に対して多大の精神的苦痛を与えている。

四、そこで、原告および右工場の近隣の者において被告に対しコンクリートブロツクによる防音の塀を設置するように再三に亘つて要望したが、被告は震動を軽減するために機械に何らかの装置をしたに止まつた。もつとも昭和三七年六月頃に至り工場の内部に防音のためと称して薄い合板を貼りつけ二個あつたガラス窓および巾三尺の出入口にガラス戸のかわりに板を打ちつけたがこのような姑息な手段では右工場から発する騒音の低下には何らの効果もなかつた。

五、右の次第で原告は被告工場より発する騒音のために精神的に甚大な苦痛を受けており、その苦痛は金銭に換算して一ヶ月一五、〇〇〇円を被告から受領しなければ慰藉されないものであるので、昭和三五年六月はその二分の一の七、五〇〇円、同年七月から昭和三八年五月末日まで一ヶ月一五、〇〇〇円の割合の金員合計五二五、〇〇〇円、総計五三二、五〇〇円およびこれに対する訴状送達の翌日からその支払ずみまで民事法定利率年五分の割合の遅延損害金の支払と、さらに別紙目録記載の工場の北側の外壁および屋根を二寸以上のセメント壁をもつて被覆し、かつ明り取り部分に厚さ二分以上のガラス板を設置することにより右騒音の程度が漸く受忍の範囲内に止まり、精神的苦痛も大いに軽減されるものと考えるので右措置をとることおよび昭和三八年六月一日から右措置がなされるまで右に述べた理由により一ヶ月一五、〇〇〇円の割合の金員を支払うことを被告に対して請求する。

と述べ、証拠≪省略≫

被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決を求め、請求の原因に対し、

一、一項および二項の事実は認める。

二、三項および四項の事実につき、被告の工場は最初から工場として建築したもので、一般住居を工場に改造したものではない。なおその構造も原告の主張するところと多少相違する。

たしかに工場内部の騒音は相当高度であるが、外部に発する音響は社会通念上許容さるべき程度である。もつとも、被告は、防音については常に留意し昭和三六年以来一、五〇〇、〇〇〇円以上の費用を投じ防音壁の設置、機械の改装等をして来ており、現在においては、此種工場としては最低の音響しか発せず、近隣とくに北側居住者にはほとんど迷惑をかけない程度の音響しか発していない。なお工場の稼動時間は午前八時三〇分から午後六時までで内正午一時間の休みがあり、工場内の機械は全部活動するものではなく、流れ作業のため常にその一部のみが活動している状態である。

三項後段の原告の勤務状況、家族の状態等は知らない。

三、五項の事実は知らない。

と答え、証拠≪省略≫

理由

一、請求原因一、二項の事実は当事者間に争がない。

二、そこで被告の右工場操業により発する作業音・振動(以下「騒音等」という。)は社会生活上の受忍義務を超え、そのために原告は住居の平穏を乱され、大きな精神的苦痛(損害)を蒙つている旨の主張について検討するに、

(一)  先ず右騒音等による侵害がどの程度に達したときに社会生活上受忍すべき限度を超えた―即ち違法性を帯びる―ものというべきかであるが、それは原・被告両当事者間の具体的事情を基礎とし、一般社会通念に従つて決する外ないところ、原告および被告代表者本人尋問の結果および弁論の全趣旨によると、原告は昭和三〇年から現住居に居住し、愛知県中村警察署に勤務している巡査であり、一日置きに一昼夜勤務についているので一日置きに非番で自宅におり、その勤務明けの際にはそれが昼間であつても二~三時間程度の睡眠をとることが不可欠であり、その妻は昭和三五~六年頃から胸をわずらい、昭和三八年九月からは腎炎にかかり病院に入院したり、通つたりして治療をうけている病人にして安息を要し、又二人の子供は幼くこれに与える影響も無視し難いこと、そしてこの事情は被告においても知つていたものと見られること、被告の右騒音等を発する工場は昭和三五年六月中旬頃以来操業が続けられて来ており、その騒音等は(その高低は同じではないが)午前八時三〇分頃から昼休の一時間を除き午後六時から七時頃までほぼ継続して発せられることがそれぞれ認められ、こうした事実に成立に争のない甲四号証および証人竹内重二の証言により認められるところの、名古屋市においては昭和二九年一二月一日騒音防止に関する指導基準が定められ、これに基いて行政上の指導が行なわれており、工場の作業音も又この騒音にあたることおよび本件工場の所在する場所附近は右基準によると商業地域のうち別に定める区域にあたり、その制限音量は音源(本件でいうと工場の建物)の至近距離において六五ホン以内と定められていること、なお右基準には病院・授業中の学校の周辺においては右より五ホンを減じた音量を基準と定めていること、本件騒音等を発するのは前記のとおり昼間に限られることを合せると、原告において受忍すべき騒音等の程度(原告において日常生活を営んでいる家屋内に響いてくる騒音の程度)は原告居住家屋の最も音源に近い場所において五五ホン程度をもつて限度とし、これを超えるときは違法性を帯び不法行為を構成するものと解するのが相当である。

(二)  ところで被告の右工場操業による騒音の程度であるが、(1)原告および被告代表者各本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨からすると、被告は昭和三七年六月中旬から右工場において操業して来たが、その操業開始当時はこれより生ずる騒音等もかなり大きく、そのために原告を含む近隣居住者より、その騒音等および操業時間について苦情が出たこと、そこで被告は一番大きな騒音等を発する右工場の一番東側に備付けてある素毛機一台の運転を一時中止してこれを改造し、その後一年ほどかけて全機械の改造をし、昭和三五年暮頃から昭和三六年二月頃までにかけて従前ガラス窓であつた北側の窓をふさぎ壁を塗りかえ天井を抜き、昭和三六年中には防音壁を設け、昭和三九年七月二五~六日には工場北側の側壁にモルタルを塗り、操業時間も午前八時三〇分から一時間の昼休をおき午後六時まで、多忙なときでも七時までとしたことがそれぞれ認められる。(2)しかしながら右工場より発する騒音は、昭和三八年六月一一日当時において、成立に争のない甲二号証によると、音源に至近距離である工場東側道路において、前記指導基準をはるかに超えた七八ホン、なお工場の一番東側に備えつけてある素毛機を稼働しない状態で原告方玄関入口のところでさえ六六ホン、玄関を入り戸を閉めたところで五八ホンであること、従つて右素毛機の稼働されるときは、それが右工場において最も騒音を発するものであること(このことは被告代表者本人尋問の結果から明らかである。)からしてその音量はより高いものであることが推認される。もつとも、昭和三九年七月二七日現在では、名古屋市衛生研究所による鑑定の結果によると、右工場東側道路において六〇~六二ホン(B特性)、原告方玄関入口のところで五五~五七ホン(B特性)、玄関入つたところで(戸は開放したまま)五一~五三ホン(B特性)であることが明らかである(この両時点における相違は前認定のように後者の測定の直前に工場北側の外壁がモルタル塗りとされたことに基くものと推認される。)(3)右(1)および(2)において認定した事実からすると、昭和三八年六月一〇日以前においても、少くとも同月一一日当時と同一、或はそれ以上の騒音が被告の工場より発せられていたことが推認される。(4)そして原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を合せると、前記事情にある原告は右騒音等により安眠および精神の安定を妨げられ充分の休息をとることの出来ない場合のあつたことおよびその妻も安息を害されることがあり、かつその幼い子供に与える影響の懸念などこれらも結局において又原告に精神的負担を与えるものであつたことをそれぞれ認めることが出来る。

(三)  以上の事実によると、被告方工場の操業の開始された昭和三五年六月中旬から右工場北側の壁にモルタルが塗られ騒音の程度が減少した昭和三九年七月二六日までの間における被告方工場から発する騒音は、原告においてこれを受忍すべき範囲を超えて前記のように原告の住居の平穏を乱し、精神的苦痛(損害)を与えたものにして違法なものというべく、被告はその間これを防止しなかつたことにつき少くとも過失があるというべきである。しかしながら昭和三九年七月二七日以後については、原告およびその妻子らの特殊な生活が専ら家屋内で営まれるもの(このことはさきに述べたところから明らかである。)であり、その家屋内に達する騒音の程度は右に認定したとおり最も工場に近いところで五一~五三ホン(B特性)程度であることから、その騒音は原告においてこれを受忍すべき範囲内のものである。

三、してみると、被告は原告が昭和三五年六月中旬から昭和三九年七月二六日までの間に住居の平穏を侵害されたことによつて蒙つた精神的苦痛に対する賠償として慰藉料を支払う義務があるものというべきであるところ、前に認定した原告の職業、それに家族の状況、本件の場所附近が商業地域であること、侵害の期間および一日の侵害時間(被告代表者本人尋問の結果によると、それは昼間に限られ、かつ被告方工場の機械は全部が同時に操作されるものではなく、ロープ・紐の製造工程を追つて順次運転されるものであること、従つて高度の騒音が間断なく続けられるというものではないことが認められる。)ならびにその程度(その程度は前に認定したとおりであり、成立に争のない甲二号証からすると、とくに戸障子を開放させる時期を除いてはそれほど大きいものではないことが明らかである。)等諸般の事情を斟酌して、昭和三五年六月中旬から昭和三八年五月三一日までの慰藉料額は合計七一、〇〇〇円、同年六月一日から昭和三九年七月二六日までの慰藉料額は二七、七三三円(いずれも月額二、〇〇〇円)をもつて相当と認める。

四、なお原告は右騒音防止の措置として、被告に対し別紙目録記載の工場の北側の外壁および屋根を二寸以上のセメント壁をもつて被覆し、かつ明りとり部分に厚さ二分以上のガラス板を設置することを求めているが、前認定のように、被告において右工場北側の外壁をモルタル塗としたことにより既にその騒音の程度は原告において受忍すべき限度にまで低下しているものであるから、原告のかかる請求は理由がない。

五、以上の次第で原告の本訴請求は、被告に対し九八、七三三円の支払およびそのうち七一、〇〇〇円に対し訴状送達の翌日である昭和三八年六月二三日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余の部分は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川坂二郎)

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